(タヒチプレス:25Nov2005)
"L.A.Times" 日曜版10月23日号にMatthew Heller氏によってに掲載された「天国における問題」という題名の記事の内容は、建設中の「テティアロア・ブランドホテル」について「ブランド」の名前を冠するのには適していないと批判的な内容だったようです。どうやら、ブランドの古くからの取り巻きは、ブランドが許可したホテル開発に不満を持っているようで、間接的ですがBeachcomber社批判が噴出した形と言えると思います・・・回答する形で "Beachcomber" 社 Richard Bailey氏が意見を発表しました。
(管理人注)
Beachcomber社によって示された
「テティアロア・ブランドホテル」計画概要
ブランドの遺言であるエコ・リゾートを目指す。電気はソーラ・パネル、下水処理はハイテクの「マイクロ処理」により行い、海水の淡水化装置によって飲料水を供給。全ての施設には莫大な予算が予想されており、1部屋/1晩1,500USドルのルームチャージ(高価!泣!)が予想されています。いくらエコリゾートとはいえ、Heller氏の指摘では建材輸送のためのプラットホーム(桟橋)は珊瑚礁の上に作られるようです。(予測総工費4000万USドル)
Bailey氏
「建築許可はブランド自身が認可したものである、彼の名前を冠したホテルにする事は、彼の名誉に抗うものではないと信じている。私は20年タヒチに在住しており我が家同然だ、私はブランドのテティアロアに対する愛やビジョンを共有している。ブランドは彼の夢をかなえるため、私を選んだのだと思う。」
「私は彼の最後の年、テティアロア環礁と彼のビジョンについて、何時間も議論した。彼はしばしば不機嫌であったが、お互いを尊重し敬意を払って行った。プランはドン・キホーテのような概念まで及んだ。そして、私たちは環境保護志向、文化的で美的な概念を具体化したプロジェクトの許可証申請を、一緒に提出した。」
Heller氏
「私はBeachcomber社が、ホテル名にブランドを使う事を知り、驚愕した。」
「マネージャー Jo An Corrales氏、長年の秘書 Alice Marchak氏、L.A.在住の建築家 Bernard Judge氏ら、ブランドの側近は、ホテル計画に不満を持っている。」
※Bernard Judge氏は、テティアロア・ヴィラージュホテル(2004年3月クローズ)の設計者。俳優では無い旧友 Bernard Judge氏がHeller氏に語った事
「ブランドは、いかなるリゾートも彼にちなんで命名させるのが'嫌いであった。彼は人々に(ブランドの島では無く)テティアロアに訪れて欲しいと願っていた。」
Bailey氏
「エコ・リゾートを孤立した遠隔の環礁に建造すると、技術、戦略、財政的な挑戦が必要となる。うまくいけばブランドの相続人達に利益をもたらす事が可能だろう。ブランドは環境保護と文化の調和を望んでいた。」
Heller氏
「相続人への金融的保証は2012年に地所を始めると、使用料として10万ドル/年の試算。ブランドの名前を認可するのであれば、2065年までは、相続人への賃貸借価額は少なくとも2850万ドル。」
(2065年:60年間の取引期限満了)
(管理人注)
良くわかりませんが「結局、金かい!?」
テティアロアの相続?を巡る、映画さながらの愛憎劇?
1990年、L.A.警察はマルホランド・ドライブの飯場でDag Drollet(タヒチ人男性)の死体を発見。Dag Drolletはブランドの娘 Cheyenne のボーイフレンドでした。ブランドはDag Drolletの死後、Cheyenneをテティアロアに決して戻しませんでした。翌年1991年 Cheyenneの異母(父)兄弟 Christian が殺人罪を認めました。Cheyenneは1995年タヒチ島の彼女の母親の家で首つり自殺。その母とはTarita Teriipaia (1960年:MGM映画:戦艦バウンティ:ブランドの恋人役)です。
posted by Hopuhopu at 13:35|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
観光
|

|