2005年10月31日

テマル領土政府長官、仏国核実験の影響に関して補足。

(タヒチプレス:30oct2005)

10月29日に「仏領ポリネシアの高レベル放射能汚染」の見出しで公開されたニュージーランドヘラルドWebサイトの記事は
ツアモツ諸島ツレイア島の高レベル放射能汚染の発見を裏付ける資料、引用元に不明部分があります。
NZヘラルドの記事は、特定不可能な「匿名職員」によって「被曝後遺症の疑いで診療のために、1日あたり最大5人をオークランドの個人病院に送った。」としており、テマル氏は「私は、だれが毎日ニュージーランドに送られた5人疾病ポリネシア人がいると言ったかを知りません。」と発言しています。

管理人注:核実験場従事した人は、辞める時に「核実験に関していっさいの事を口外しない」契約書にサインをします。匿名の方は仏国の監視下にあり、自由な発言をする事に身の危険を感じている可能性が高いと思います。また実験場従事でなくとも、ツレイア島民というだけで箝口令があった事は確実です。我々観光客は明るい側面しか見ませんが、タヒチの人々は常に仏軍の監視や密告下にあるといっても過言ではありません。

NZヘラルド記事で実名が明記されているのは、テマル氏とTea Hirshon女史のみ。他は匿名で「Temaru政府職員」となっています。 Hirshon氏は仏国核実験調査委員会委員長であり、10月9〜10日にツレイアなどに赴いたばかりです。記事にはテマル氏は「健康と環境汚染へ影響の継続的ハイレベルなもみ消し工作」で仏国政府を起訴したと書かれています。

テマル氏「私たちには、多くの健康上の問題があります。」とハッキリ発言しています。

匿名の政府職員は、仏国は被曝後遺症の人々をパリに送っていましたが、ニュージーランドが地理的に近く費用が削減できるためオークランドの病院に送られたと新聞に発言しました。10月9〜10日の調査によれば、ツレイアのブロックハウス(シェルター)足下で、通常環境の4倍を示す放射能レベルが確認されたばかりです。NZヘラルドは、データが仏国で分析されなければならないと言い足しました。テマル氏はは調査委員会への協力を拒否し、公文書を公開をしない仏国国防省も起訴したようです。

管理人注:たった今、その公文書関連の事をまとめている最中です。1997年までは閲覧可能だった公文書館(ヴァンセンヌ要塞内)を。国防省は閉鎖しました。2005年現在、核実験関連の情報公開が完全に隠蔽されたままになっています。この公文書内容ですが、調べるほどに仏国がマオヒを人間扱いしていない事が浮き彫りになってきます。

テマル氏「ポリネシアの人々は何が起こったか、起こっているかを知らない。 私たちは中立組織による調査を望む、仏国は公文書アーカイブを開き、なぜまだ秘密であるかを我々に伝えるべきである。」

管理人注:仏国としては公開できるはずがありません。(一部は漏れ出していますが、欺瞞や不条理に溢れた内容です。)

調査委員会は11月に仏領ポリネシア議会に報告書を提示することになっています。 Hirshon女史は、コミッションの目的が仏領ポリネシアにおける核実験の影響の正確な査定と、およそ25万人の健康被害状況の把握であるとヘラルドに言いました。
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国外通信社にも漏れ出る情報

(30oct2005:共同通信)

タヒチプレス以外でも、徐々に核実験の影響が漏れてきました、ツレイア島です。
もう少しデータなどを集めた上で、状況を多角的に分析したいと思っています。
以下が記事の全文コピペです。

URLはこちら
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051030-00000115-kyodo-int
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ポリネシアで放射能汚染か フランス核実験の環礁近く

 【シドニー30日共同】ニュージーランド紙ドミニオン・ポストは30日までに、1990年代半ばまでフランスが核実験を行っていた南太平洋のムルロア環礁(フランス領ポリネシア)近くの島で、高レベルの放射能汚染が報告され、住民が相次いで治療などを受けていると伝えた。
 同紙によると、放射能汚染が報告されたのは、ムルロア環礁の北北東約115キロのトゥレイア環礁。約100人が住み、有人の島としてはムルロア環礁に最も近い。多い時には一日に5人の住民が「放射能に関係したとみられる病気」のため、ニュージーランド北部の病院で診断、治療を受けているという。
 ポリネシアのテマル行政長官は同紙に対し、フランス政府が核実験による健康や環境上の影響を隠ぺいしていると非難。
(共同通信) - 10月30日21時42分更新
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2005年10月17日

CRIIRAD、オスカー・テマル氏へ第一回の現地調査報告

(タヒチプレス:15oct2005)

仏領ポリネシア大統領オスカー・テマル氏は現地金曜日、 "CRIIRAD" (放射能関連情報独立調査機関)より第一回目のマンガレヴァ調査の報告を受けました。

核実験の影響調査会(現地9、10日)に同行した "CRIIRAD" の研究者は、ガンビエ諸島の "Mangareva" ,ツアモツ諸島の "Hao" , "Tureia" の三カ所に赴き、各島の土壌や食物連鎖中の生物濃縮の状況を調査するためのサンプル収集を行いました。サンプルは実験室で詳しく調査を続行中。

核実験の影響についての報告:Bruno Chareyron : CRIIRAD実験室担当員

「今の所、ツレイアを除き環境中の放射能レベルに異常な数値は見られない。しかし残留放射能についてサンプルのさらなる分析が不可欠。通常環境中の放射能は微々たるものだが、ツレイアのブロックハウス(シェルター)の足下では正常レベルの4倍を測定した。」
「これらの分析は住民のリスク(有る無し)を証明するものでは無い。より詳しい調査が潜在的な危険を見定めるために必要不可欠である。追研究後 "CRIIRAD" は(残留放射性物質、核汚染状況など)改めて報告する。」

(管理人:注)ツレイアはモルロアの北107kmに位置するバリバリ危険区域内「実験場に一番近い有人の島」であり、その位置から大気圏実験の影響を最も受けたと思われます。環礁内の魚は食用禁止、水も(雨水)飲用に適さないとの事。作物が育たず漁もできず島民の現金収入は少ないが、核実験期間中は領土政府交付金が出ていたようです。(実験時のシェルター避難には1500cfp/1日の日当も出ていた)多くの人に被曝晩発生影響が出ているようですが、島民は仏軍の監視下で固く口止めされているようです。仏国厚生省がマンガレヴァ、ツレイア、プカルア、レアオ4島のガン疾病登録を始めたのは(信じられない!)1984年以降。初実験から18年間放ったらかし、登録以前に何人の人がガンや白血病で亡くなったかは闇に葬られてしまったのです。
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2005年10月14日

マンガレヴァでの公聴会、1966年の大気圏核実験の様子

(タヒチプレス:12oct2005)

「仏国核実験の影響」調査委員会開催の公聴会により、1966年7月2日・仏国による南太平洋で最初の大気圏核実験の時のあらましが、マンガレヴァの人々の生々しい証言により浮き彫りになってきました。1998年に取られた仏国の「大規模沈黙政策」で情報は完全にシャットアウトされ、核実験推進派だったフロス政権下においては全く見えてこない真相が、遂に見え出しました。当Webサイト "Te nunaa MA'OHI" "Hotu Painu" では、最近マンガレヴァの事をまとめている最中だったので、現実とシンクロして驚きました。この公聴会の証言や現地視察の模様などを交え、コンテンツを近日中にアップしたいと思います。

●マンガレヴァの証言

公聴会開催:調査委員会、委員長 Tea Hirshon氏
同席:
CRIIRAD:Commission de Recherche et d'Information Independantes sur la Radioactivite(放射能に関する情報および独立調査のための委員会)メンバー

この証言は仏軍の監視下で無く「自由に発言できた」とても貴重な声です。管理人も知った時は驚きましたが、実験の施行される二年前1964年にはパペエテには独裁警察がつくられていました。名前は単なる「研究局」でしたが・・・「住民は絶えず密告され、検閲は定期化されていた。」そうで「核実験についての発言」などできるはずも無い状態だったのです。タヒチ裏側では冷戦時の共産圏のような重苦しい空気が流れていたのでしょうか?

・最初の実験時(コード名:アルデバラン:1966年7月2日大気圏実験)は避難所(シェルター)も無かった。
・重要な仏軍高官が来た、歓迎の食事を沢山用意したのに実験が実施されると素早く飛行機で帰ってしまい、仕方なく食事はゲスト不在で食べた。
・爆発が起きた時は頭上でとても大きな轟音がした。
・難聴の子供が生まれた(実験後に出産した女性)
・魚が食べられなくなった、シガテラのせいもあるが核実験も関係しているのかも。
・軍からは(実験について)なにも知らされなかった
・実験の後、軍関係者は(マンガレヴァで採れた)野菜を買わず、パペエテから持ってきていた。
・家族が(理由は明かされず)しばしばハオへ送られた。(注:ハオには補給基地があります。)
パペエテに送れば良かった。
・初の実験後にシェルターが作られたが、もうボロボロで軍が取り壊してくれれば良かった。
・(当時14歳の女性)三日三晩シェルターに入っていた事がある。映画を見たり食事が振る舞われた。実験後シェルターの屋根を水で洗い流していた、その後家に帰った。

今まとめているコンテンツ内容に「完全に整合」する証言の数々に、憤りが増しました。これでは仏国はマンガレヴァの人々を実験動物扱いした事にならないでしょうか?
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2005年10月12日

「仏国核実験の影響」調査委員会がガンビエ諸島へ

(タヒチプレス:10〜11oct2005)

完全に霧の彼方だった「仏国大気圏核実験の真相」が少しずつ明るみに出て来ました。フロス政権下では全く期待できませんでしたが「遂に・・」という感じです。調査委員会に対しては当然仏国の横やりも入り、論議を呼んでいるようですが、是非真相に迫ってもらいたいです。

仏領ポリネシア議会連合与党UPLDオスカー・テマル氏(領土政府長官:大統領)によって今年の7月15日に組織された委員会(任期6ヶ月)は、仏国が1966〜1974年の間にツアモツ諸島 "Moruroa" と "Fangataufa" に於いて、41回の大気圏核実験を行ったとき「そこで何が起こったか?」を住民達に公聴及び、二日間の現地調査を遂行すべくガンビエへ諸島向かいました。9日(日曜日)の午後遅く、委員会は "Rikitea" に到着、核実験を実体験した人々を集め公聴会を開催しました。そして現地の数カ所を見て回ったとの事です。

(管理人注:"Moruroa" と "Fangataufa" はタヒチの1,200kms(720マイル)南東、さらにガンビエ諸島北西"Mangareva" までは450kms(303マイル)の距離です。)

委員会は翌10日(月)を "Mangareva" の様々な地域を訪問するのに費やしました、島の人々が核実験期間中、放射性降下物質から避難したシェルターなども含んでいたようです。

(管理人注:原文英語では "blockhouse" となっていて、シェルターは意訳です。手元資料の不鮮明な写真ではお世辞にもシェルターとは言えない粗末なコンクリート小屋で、なるほど "blockhouse" って感じの物です。こんな小屋で放射線を遮蔽できたか?は素人目にも疑問です。)

Hopuhopu@管理人が長年待っていた "Tureia" の真相の一部

委員会代表 Tea Hirshon氏とメンバーの一部は "Tureia" 視察も行いました。"Tureia" は "Moruroa" の北に位置し、実験場から最も近い、住民のいる環礁です。

(管理人注:ここの島民は一時はあまりの放射能レベルの高さから、全島民がパペエテへ避難させられたりしていたのです。理由はバカンスとか悲しい嘘・・・ラグーン内の魚は食べられず、被曝晩発生障害に苦しむ人が沢山いるようですが、いまだ全てはトリコロール色の霧の中です。)

CRIIRAD:Commission de Recherche et d'Information Independantes sur la Radioactivite(放射能に関する情報および独立調査のための委員会)のリポートによれば、"Tureia" のシェルター("blockhouse")の放射能レベルは環境大気中の4倍。 しかし、CRIIAD職員は「なぜレベルが高いか?」に対する明確な理由を明らかにすることはできなかったそうです。

(管理人注:調査期間も予算も無いのでしょう。もしくは仏国の「核汚染は無かった」発言を前提にしている可能性もあります。)

CRIIRADについてはこちらを参照ください。
http://www.greenpeace.or.jp/campaign/nuclear/plutonium/rokkasho/criiad_html


何人かの委員が月曜日の夜パペエテに戻りましたが、数人は "Hao" に留まり調査を続行中。

(管理人注:"Hao" は30年間仏国核実験の補給基地として機能していました、南太平洋随一の空港設備を誇るそうです。)
posted by Hopuhopu at 13:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 核実験

2005年10月11日

タヒチアウトリガーカヌーチームがハワイ「モロカイ ホエ」で4着入賞

(タヒチプレス:10oct2005)

現地日曜日、ハワイの有名なモロカイ島とオアフ島間41マイルレース「第54回 モロカイ ホエ」において、タヒチの"Ra'i"アウトリガーカヌーチームが4着の好成績をあげました。

優勝は "Lanikai Canoe Club" (5時間7分)二連覇 (6度目) 二着 "Tui Tonga from Hawaii’s Big Island" 10分遅れスタートながら猛追しその差1分半。

"Ra'i" チームは初めての「ハワイ以外のクルー」で完走したそうです。タイムは5時間30分と54秒「第54回モロカイ ホエ」レースは「男性の長距離アウトリガーカヌーレースの世界選手権」に位置づけられるとの事で、快挙ですね。その他のタヒチのチーム "Tahara’a Olympic" チームも 5時間38分49秒 で6着。

そして現地12日(水)には「第14回ハヴァイキ ヌイ ヴァッア」が始まります。"Ra'i" チームは参加しないとの事ですが・・・「ハヴァイキ ヌイ」はフアヒネ、ライアテア、タハア、ボラボラ間を3日間で走破する過酷なレースです。
この期間にタヒチを訪れた方はたぶん見た事があると思いますが、ヒナノビールのラベルや缶のデザインがカヌーレースの期間限定デザインに衣替えします。(年末ぐらいまでは売ってます)タヒチファンの方はご存知とは思いますがヒナノのWebサイトでは、過去のデザインラベルを見る事ができますので、興味のある方はどうぞ。サインアップすると壁紙もダウンロードできます。

Hinano Official Website
http://www.hinano.com/index.php

話は逸れますが、カレンダーのタヒチ美人は凄いです。
posted by Hopuhopu at 11:19| Comment(0) | TrackBack(1) | 太平洋